2010年12月01日

「会社で学歴は関係ある?」

学歴はほとんどの人にとって関係あるべきだと思っています。

人生の舵を切って行くにあたって、自ら考えて入る高校・大学・高専・専門学校ですから、「学歴なんて関係ない」と公言する人は、何を考えて学生時代を生きてきたのかと思ってしまいます。(学歴が関係ないなら、高校はともかくなぜ大学に行ったのか?)

考えがあって高校に進まなかったり、大学に進まなかったりという人は考えて生きているのですから、すばらしいことだと思います。そしてそれは(個人的な意見ですが)低学歴とは言わないと思います。

ただ、大学に行った人が学歴を評価されるのは当たり前のことだと思います。
乱暴に言えば、同じ学問を学ぶのに入学レベルが高い大学と低い大学があるのは事実(法学部ならば極端に言えば東大文1と偏差値40以下の私立法学部は法を学ぶと言う点では同じなわけです)で、入学レベルが高い大学に行くのには努力が必要だからです。それに、この2つの大学で同じレベルの勉強・研究をしているとは到底思えないからです。

職業柄、地元木更津の大学(代ゼミ調べ偏差値40以下の法単科大学)の学生と接することもありますが、もう文章の組み立てがおかしかったり、言葉の意味がわかっていなかったり(語彙がない)、ひどいものです。(そんな状態で法とか勉強・研究できるのか?大学って何だろうか?と思ってしまいます。)

大学の学歴の差は偏に努力の差です。生まれつきの頭の良さとか家の事情とかは全く関係ありません。大学はそれなりの意志があって行くところですから。

恥ずかしい話ですが、僕にはお金もないし、父がおらず母は病気がちでノイローゼのような状態で両親がいないような状態でしたが、世間的に入学レベルの比較的高い大学に入学し、在学中はそれなりに勉強・研究し、卒業できました。

努力である程度は如何様にでもなるのです。なのに、たいした芸も資格もなく努力もできないような人=低学歴の人が「学歴は関係ない」なんて言っているのを見ると非常な違和感を持ってしようがありません。学歴は努力を客観的に具体化できますから、やはり、学歴による「区別」はあってしかるべきだと思うのです。

また、2010年09月20日付け日記の「「努力」の評価は危ういもの」で

「努力」したかどうかは主観的なもの、「結果」は客観的なもの。したがって、努力した人を評価するためには「結果」を評価しなければならないのは仕方のないことだと思う。そういう意味での「結果」による社会的な区別は厳然としてあるべきだと思う、今日この頃。

と書きました(今回の場合、結果=学歴)が、言いたいことは全く同じなのです。

posted by だーやま at 11:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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